さんま物語 9

2017年7月8日

歌え。踊れ。掴め。「女川の秋刀魚」から「さんまの女川」へ
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20周年に免じて、語らせてください。

 

秋刀魚収獲祭も今年で20年目を迎えるが、節目の年にルーツをひも解いて見ようかと思う。

女川町には七十七銀行を母体とした異業種の集まり女川町経済懇話会がある。
当時、七十七銀行の本店では、毎年海外 特にアジア方面の会員研修旅行を企画し研鑽を行っていた。
私が女川の買受人組合の理事長になった平成9年、私とT社長・S社長が誘われ、それに女川I支店長が加わって4名で、そのミッションに参加する事になった。

その前夜の4人の壮行会で、鮪経営のため気仙沼を基地にしているS社長から「現在気仙沼の水産業界はその発展の為、水産物の新商品の開発、また観光客の誘致等凄いものがある。しかし、女川はそんな気迫は全然感じられない。これでは完全に気仙沼に負けてしまう」との意見が出て、その話で盛り上がった。
じゃ、女川は我々で何かを考えやろうではないかとの話になった。

当時 女川は鰹の時代が終わり、さんまが水産業界の主流になりつつある。
さんまで何かをやろう。さんまのお祭りをやろう。
しかし、何をするにも先立つものはお金だ。
買受人組合から出すにしても大きなお金は出せない。
そうだ、女川町に相談して見よう。という事になった。
その晩は明日の研修旅行も忘れて、その話し合いの為に興奮し、全員酔い潰れてしまった。

私は、翌日朝一番でS町長にあってその旨を伝えた。
町長も凄く喜んで、「実は今日、仙台通産局の方が視察に来る。絶好の機会だ話してみる。」
視察後、民間からその様な話があるのはうれしいと予算獲得に努力する旨の話があった事をS町長から聞かされた。
その事を3人に話し、喜び合った。

先ずスッタフの構成だ。
実行委員長はT社長、副委員長はS社長、事業の構成、立案は金物屋のM氏とした。
M氏は、その昔女川に日本フィルハーモニー交響楽団を呼んだ時の盟友であった。(余談だが当時指揮者は若かりし小澤征爾氏だった)
その後、この様な計画とスタッフを理事会で了承してもらい、早速計画にかかる。
加工組合青年部・商工会・役場職員・異業種交流「金曜会」等若手も巻き込み実行委員会を発足した。
しかし、やろうとしても全員まったくの素人だ。
「そうだ。一年目は専門家に任せよう」と言う事になって、それを大手広告会社博報堂に依頼した。
こうして平成9年10月に話し合ったこの計画が、翌年の平成10年9月に『秋刀魚収獲祭』として華々しく幕を切って落とした。

 

その中で特記すべきは、過去平成9年までのさんま水揚内地日本一は、経営規模の大きい気仙沼市だった。
それが『秋刀魚収獲祭』を始めた平成10年から、内地水揚日本一は東日本大震災が発生した平成23年まで、我々の港女川になったのだ。

その頃のさんまの売れ先は、北から関東までで、関西以西は殆んど売れなかった。
その為 さんまが多く獲れ出すと大漁貧乏になり 魚価が大幅に下落した。
したがってさんま漁船経営も苦しく数量の拡販が急務だった。

全国のさんま漁船経営者達は「気仙沼よりかなり小規模な女川水産業界が、我々業界の為に相当な予算で秋刀魚のお祭りをするそうだ。応援しよう。」と、8月のさんま解禁日翌日から 入港船が続出した。
『秋刀魚収獲祭』での無料の「さんま塩焼き・さんま掴み取り・赤十字社献血者へのお礼に配るさんま」は 我々がくれて遣るからと、タモ一杯のさんまをただでくれる漁船も出て来た。

この秋刀魚収獲祭が、この後 さんまの美味しさを全国に知らしめ、徐々に関西、九州、沖縄までの販路の拡大に寄与し、さんまに関係する業界全体を大いに潤し、その後の業界の大看板になり続けている事は間違いのない事である。
一つの目的に向かって全員が力を合わせ、助け合って前に進めば 何事も成し遂げる事が出来る。うれしかった。

 

収獲祭が終わって薄暗くなった魚市場前の海岸で、携わった全員でごくろうさん、ごくろうさんと叫びあいながら飲むビール。
一つ一つが大きな塊になった瞬間だった。
人生ここにあり、皆がそう思っていた。

実質、生業としてさんまに関わっているのは私一人。
秋刀魚がどんなに獲れても一銭の儲けにもならない蒲鉾やの社長・鮪屋の社長・金物屋の社長、そして、女川町の多くの方達が、自分の商売に関係ない分野で故郷の為に命を懸けてくれたからこそ、成し遂げられてきた大きなお祭り、それが『秋刀魚収獲祭』だった。
水産業界ばかりでなく、女川町にとっても大きな財産になった。
そして、それを生み出した母体が異業種の集まりである女川町経済懇話会であった。

 

 

さて話は変わって、まだ一寸早いのですが、今年の公海上でのさんまの漁獲は小型ですが昨年より数が多いようです。
冷凍、缶詰加工の設備をしている大型の外国船に台湾船、日本船が取って売っているのですが漁獲する量が多く大型外国船が処理しきれずに日本のさんま船は漁獲しても売れずに女川港に戻って休んでいる状態です。
日本近海では今日7月8日から北海道で流し網漁が始まり、小型のさんま船の解禁が間近なので、豊漁になるのかどうかはもう少し待ちましょう。

文責:ワイケイ水産(株) 会長 木村喜一

《後日追記 2017.10.25》
しかし、予想していた以上にさんまは不漁になった。
8月下旬から水揚げされる例年のさんまは、今年女川の初水揚げは9月20日
大型船2隻で85t次の水揚げは28日大型船2隻で99t。
翌日の29日は1隻49t。9月中の水揚げはこの3回だけに終わる。
10月に入ると1日置き位に水揚げはあったが大型船でも30~50tぐらいの漁獲。
したがって昨年の浜値の2倍以上これじゃどうしようもない。